千代の富士の相撲で想い出に残ってる取組を挙げてくださいませんか? このIDは質問専用で回答してないため投稿できませんが、 千代の富士は稽古場をふくめて当時最強と

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匿名さんからの質問

千代の富士の相撲で想い出に残ってる取組を挙げてくださいませんか? このIDは質問専用で回答してないため投稿できませんが、 千代の富士は稽古場をふくめて当時最強といわれた力士でした。 千代の富士対北天佑は千代の富士の33勝12敗です。 質問者は遺恨のあった北天佑を最大のライバルとは見てませんが、 一時期不戦敗を加えて5連敗してるのでファンにとっては強烈な印象が残ってるのでしょう。 唐突なリクエストで申しわけありませんがよろしくお願いします。

いや、私、大相撲マニアではないので そこまであの場所のあの日の~、ということまでは言えませんが いま、さっき自分の回答内で貼ったURLを見ると、 千代の富士ブームが始まったのが昭和55年だったと思うので その翌年から見て、3月場所、5月場所、連続で負けたでしょ(笑)。 でまた翌年の57年~58年1月までに、3場所連続で負けたでしょ。 もう本気で「北天佑、ゆるさんからな!!!!」 と思いました。 56年の2場所連続で負けた時にまず、 北天佑は何かをつかんでしまった!!と思いましたね。 しかも前頭なんですよ、北天佑がまだ。 このショックは大きかったなぁ。 だから次の昭和56年7月場所では、 絶対に勝ってほしい!! と念仏を唱えるかのようにお祈りつづけましたね(笑)。 私の記憶では、その7月場所での千代の富士は、 北天佑を前に、やはり緊張しているように見えました。 だから、千代の富士が勝った時にはヤッター!!でした。 だけど57年になってまた負けが続いたときに、 58年の1月場所だったか、実況アナが言い放ったんですよ、 「千代の富士を得意とする北天佑! 千代の富士がいま一番苦手な相手と言っていいかもしれません」 などと。 しかも新聞にも載ったんですよ、それも1面に。 「北天佑は、千代の富士には強い!」って。 もう、ムキーーーーーーッッッ!!!!となりましたね(笑)。 その57年の9月場所と11月場所のせいで、 北天佑は、58年に小結から関脇にまで昇格したのですよ。 もう本当に、要らないから!上がってくんな!シッシッ!! って思いました(笑)。 57年の11月場所なんかさ、全勝優勝できなかったのは 「北天佑との第一日目の一敗」のせいだもん!! あれが無かったら全勝優勝だったのにさー!!! しかもその場所での北天佑の戦績見てよ。 8勝7敗で、ギリギリなんだよ?(苦笑) こんな奴に負けるとか、もう悔しさしかないわけよ。 あの当時、たいてい北天佑の総合成績がたいした事なかったりするんですよ。 だから余計納得いかないわけです。 昭和59年なんか、不戦勝入れても、全部北天佑が勝ってるんですよ。 この北天佑の「寄り切り」攻めと、たまに入れてくる変な技が腹立つわけです。 それも、千代の富士が途中休場したり、調子が悪い時に限って そのあとの場所でコヤツが後半戦で攻めてくるから 番付見るたびに、毎日ユウウツでしょうがなかった。 たぶん千代の富士もそう思ってたと思う(笑)。 60年になってから勝った時は、やっと、やっと北天佑地獄から 抜けられる・・・・と泣きましたね。 もう見てるこっちにしても、悪魔にしか見えないんだよね(笑)。 だから、14日目、15日目とかで勝つと、その「勝った価値」が全然変わってくるんです。 この60年1月、3月場所での価値は大きかったなぁ。 「え~、千秋楽が北天佑?もうダメじゃん..orz」とかヘコンでるファンは、 ハラハラドキドキ、心臓破裂しそうな感じで見守り、 そして千代の富士が勝った時には発作で死ぬかと思うくらいでした。 それくらい北天佑は、ウルフにとって地獄のトンネル、って感じに見えました。 60年7月場所も何となく覚えてますね。 2敗で千代の富士が来てて、これ以上負けられない!って時に、また北天佑なんだよ~。 そして負けてしまってあきらめる、という。 もうとにかく、千代の富士は大スターで大好きだっただけに 北天佑がウザかったわ~~~。 対戦前も後も、勝って当然、って顔してるしさ。 千代の富士の弱点があの人わかってるんだよね。 いつも同じ姿勢で来るし。 大体、2回の不戦を入れても合計47回も番付に入れられてる、って ちょっとちょっと~~~、なのですよ。 一番多い対戦相手なんだよ? 次が朝潮の46回で、そのあとに対戦回数が多かった人となると、もっと少ない対戦数だもん。 我が家ではあの頃「これ、絶対に千代の富士を困らせようと仕組んでるよね?」と言ってました。 悪意を感じた。 木村庄之助って聞くだけでも、意味もなく腹立つほどになっていた(笑)。

#ライバル

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ライバルの知りたいことや、みんなが疑問に思っている ライバルに対する質問がたくさんあります。詳しい人からの回答もたくさん集まっているので ライバルへの疑問が解消されます

みんなが知りたい質問

元阪神の阿部良男選手を知ってますか? 1974年 太平洋ライオンズから阪神に移った阿部外野手が、二十九日、甲子園球場で練習しているナインに合流した。
福岡市のトレーニングセンターで体を強化していたとはいえ、広々としたグラウンドでの始動は感じがまったく違う。
ましてや新天地のライバルを目の前にすれば自然に気合もはいる。
強化体操、ランニングと取り組む顔にそのファイトがにじみ出ていた。
「福岡でかなり動いてきたつもりだが、みんなと一緒にやるとやはりきつい。
それにライオンズ時代はランニングが主体の練習だったが、阪神は体操の時間が多い。
しんどい体操だし苦しいですね」トレーニング方法の違いに戸惑ってはいたが、佳代夫人と今月の四日に誕生したばかりの幸恵ちゃんに飛躍を誓って、前日、大阪入りしたばかり。
きびしい練習にも歯をくいしばってがんばっていた。
その表情には今シーズンにかける意気込みもあらわれていた。
「もうしばらく福岡へ帰ることはないでしょう。
合宿に荷物が届くまでは姉のところから球場通いしますが、外野の一角を目標に勝負してみます」この日は、田淵、藤田平、上田らがゴルフで欠席したため、主力との顔合わせはなかったが「心機一転に」と買い込んだ赤い新しいグラブを手に「なにか目だつことをしないと忘れられるといけないからね」と冗談をいっていた。
練習後の顔色はよく、体調は万全のようだ。
こんな阿部の印象を梅本トレーニングコーチは「体はナマっていないし、動きはなかなかいい。
まだ一日だけで評価は出来ないが、バネもあるし、かなりやりそうだ。
期待してもいいんやないかな」といっていた。
トレーニング初参加で阿部のシャープな動きは早くも目にとまった。
だが、きびしい戦いはこれからである。
彼の実力、立場からみても勝負はキャンプからオープン戦にかけての二ヶ月間だ。
左腕攻略が優勝のカギを握っている阪神。
左投手を得意とする阿部には明るい材料が待っている。

みんなが知りたい質問

【速報!】井上尚弥、9月12日にロマゴンとの対戦が決定! プロとアマチュア通じて引き分け無しの全戦全勝の世界4階級制覇王者でリング誌を含む世界中のボクシング専門サイトでパウンド・フォー・パウンド最強王者に選出されているローマン・ゴンサレスとの夢の頂上対決が期待されている。
井上本人もプロデビュー当初から「ロマゴンと対戦したい」という発言を繰り返し続けている。
井上は減量苦もあってフライ級に落とすことは出来ないため、「やるならスーパーフライ級で」とコメントしており、2016年9月にゴンサレスがスーパーフライ級に上げて4階級制覇を達成したことで対戦が現実味を帯びてきた。
中量級~重量級が主体で軽量級は不人気なアメリカにおいては、1990年代の軽量級の絶対王者リカルド・ロペスでさえも、その強さゆえにライバル不在なこともあり、ヘビー級の前座に甘んじることが多かったが、ゴンサレスが本格的にアメリカ進出を始めるのと時を同じくして井上もナルバエスに勝って名前を知られるようになったことで、日本だけでなくアメリカを含む世界のファンや関係者からも対戦が期待されている。
ローマン・ゴンサレスvs井上尚弥は2017年に実現すると思いますか?

みんなが知りたい質問

ウチの通ってるスイミングスクールの関係の昔の人で、昭和時代の終わりの頃に全国大会にまで出たというすごいおばさんがいます。
この前、昔の思い出話というのをしてくださったのですが、昔は とにかく練習、練習、根性、根性で、 長い距離泳ぎすぎて疲れすぎて、半分居眠りしながら泳いでいたり、潜水もライバルに負けたくなくて息長く止めすぎて酸欠で、半分気絶しながらも本能で進んでいたとか言ってました。
今の若い子も時には少しくらいがむしゃらにやっても良いのではないでしょうかと怖い事も言ってました。
何だか今の考え方と随分違うような気がしますし、危険だと思います。
でもその頃は速い選手が何人かいて、今のようなまったりしたスイミングスクールではなかったそうです。
でも、実際に疲れすぎて半分居眠りしながら泳いでいたりとか、息長く止めすぎて酸欠で半分気絶しながらも本能で進めるものなのでしょうか? 私は苦しくなったらすぐ止めてしまう方なので挑戦なんか絶対にあり得ませんけど、 おばさんは、居眠りしながらでもさらに数百メートルは続けて泳いでいたし、半分気絶しててもさらに10メートルや20メートルくらいは潜行していたと言ってますが。